フィルムカメラを購入してはや3年が過ぎた。
私は、一月で36枚撮りフィルムを何枚も消費するような玄人ではなく一年間でやっと36枚撮りフィルムが終わるかどうかというスローペースな使い方をしている。
うち、昨年撮ったモノクロとカラーフィルムは、感光していたのか一年ためた思い出がすべて吹っ飛んでしまって最近までフィルムカメラを怖くて再開していなかった現実がある。
しかし、そんな私でも"フィルムカメラはいいぞ"とみんなに普及している。その理由をつらつらと書いていこうと思う。
▶目次
フィルムカメラが愛されている理由
まず、なぜフィルムカメラが愛されているかを考えてみた。
昨今、デジタルカメラが普及して今までポピュラーであったフィルムカメラは、愛好家が使うものという認識に移り変わっている。
身近なフィルムカメラで言うとアイドル等で流行っているチェキが言えるだろう。チェキは、その場ですぐ印刷され見ることができるが一般的なフィルムカメラは、そうはいかない。
撮影が終わったらフィルムを巻き取り、現像に出し、戻ってくるのは数日後…こういったプロセスがあるため写真を手にするまでに時間がかかるのだ
SNSが普及している時代。
写真は、鮮度を求められているのか撮ってからすぐ共有するということが日常茶飯事そこかしこで行われている。
そんな、アナログで共有するのにも時間がかかるフィルムカメラがなぜ愛されているのか。
一重にフィルムカメラは、撮影の道具ではなくアートの一部となっているからではないかと考える。
まず第一に、撮影という行為を楽しむプロセスがあげられる。
フィルムカメラの多くは、露出を自分で決めピントを自分で合わせるマニュアル方式だ。その至極アナログ的なプロセスを通じて写真を捉えることで、撮影者は、"撮影"ということに集中し露出や被写体との距離を考えシャッターを切ることになる。
フィルムは、限られた枚数と現像に掛かる手間を考えながら撮影を行うため、その瞬間を大切にし、現像されてきた写真が上手くいけば自分の技術は間違っていなかったと喜びを持たせてくれるだろう。
したがって、撮影という”行為”に集中し絵画を描くようにシャッターを切るということが非常に楽しくまさにアートを作成する一部となっていると言えるだろう。
その次に、フィルムの特有の質感が写真に深みと温かみを与えているという点がある。
これらは、多くのフィルム愛好家が伝えており知っている人も多くいると思うがデジタル写真では再現しきれない、顔料のような彩度と絶妙なグラデーションが、フィルム写真を独特かつ芸術的なものに仕立て上げてくれている。
これは、まさに写真が持つ本来の感性を引き出すものと言える。
一度使い切られたフィルムは再利用が難しく、だからこそ使用者は無駄を省き、慎重に被写体を選ぶよう自ずと促されている。これのお陰で質の高い写真を生み出すことが自然とできているように感じる。
総じて、フィルムカメラは単なる道具ではなく、アートとしての写真を追求する者にとって欠かせない存在だ。
その手触りや香り、写真が焼き付けられる瞬間のワクワク感は、デジタルでは味わえない貴重な体験となるだろう。
デジタル化が進む中でも、フィルムカメラの愛される理由は、時を刻み、感動を残すという本質的な価値に根ざしているといえる。
私とフィルムカメラが出会ってから
2020年。
日本どころか世界中で猛威をふるっているコロナが大流行し人々が自粛生活を苛まれる中、私が初めて手にすることとなるドイツの名カメラブランド Leica の Ⅲf と出会うことになる。
フィルムカメラを導入した簡単な理由などは、カメラ遍歴に書き記してあるのでぜひ合わせて読んでみて欲しい。
そんなわけで、世界の混乱の最中Leicaを手にした。
その時の出来事は、思い返せば写真の新たな旅への扉を開いてくれるものとなった。
今もだが、やはりデジタルは便利なため頼り撮影することが多かった。
しかし、Leica Ⅲfの美しいフォルムと機械的な精密さに引かれ、アナログ写真の魅力に目覚めていくようになった。
フィルムをセットし、シャッターを切る瞬間、まるで時を遡るような特別な感覚が私の中に広がっていくのが分かった。
コロナ禍で制限される中、Leica Ⅲfは私に今までと違った写真撮影を提案してくれた。
散歩やプチツーリングが日課となり、Leicaで撮ったらどうなるだろう?という考えがよぎり身の回りの見慣れた風景が新鮮な視点で捉えられるようになった。
自分の眼と手で制限されたフィルムという媒体の中、写真を切り取る楽しさに、ますます心が奪われていった。
フィルムの魔法にはまると、写真が切り取る瞬間の美しさが格別だと気づいた。
現像のプロセスも依頼を出し戻ってくるまでに時間が掛かるがなかなかそれも味なものだと気づいた。
これらは、昨今のデジタルカメラでは絶対に味わえない"間"であると言えるだろう。
Leica Ⅲfとの日々は、写真が持つ奥深さとフィルムカメラの機械的な美しさに魅了され、QOLが上昇する結果となった。
これからもLeica Ⅲfとともに、写真という小さなアートを楽しむ日々が続くことを楽しみにしている。
総じて思うフィルム写真とフィルムカメラの良さ
コロナ禍で生まれ変わった日常の中、私はLeica Ⅲfというフィルムカメラとの出会いを通じて、写真の"新しい形"に触れ楽しさを知ることができた。
この体験をいろいろな人にも体験して欲しいのでフィルムカメラはいいぞとたまに伝えているのである。
これまでデジタルに頼りきっていた私が、なぜフィルムカメラに魅了されたのか、その理由を改めて振り返りたい。
まず、フィルムカメラは写真撮影を単なる"行為"からアートを作っていく過程へと昇華させてくれる。
Leica Ⅲfの機械的な美しさとマニュアルですべてを決めるある種の煩わしさが写真にかける情熱と愛情を引き出してくれる。
シャッターを切るたび、時間を感じ、写真に込めた思いが実感として残っていく。
フィルムの限られた枚数は、写真を選ぶ喜びを与えてくれる。
どの瞬間を切り取り、どの風景に焦点を当てるか。
これはまさに写真愛好者にとっての特別で贅沢な時間であり、自分の創造性を最大限に引き出すプロセスとなる。
また、フィルムの独自の質感と色合いは、デジタルでは味わえない深みと温かみをもたらす。
写真が持つ情熱や情感が、フィルムを通じてより鮮明に伝わる瞬間がある。
総じて、フィルムカメラは写真を単なる記録手段から芸術的な表現へと昇華させ、写真愛好者にとっては贅沢で特別な旅へと誘うものだ。
Leica Ⅲfとの日々は、写真が持つ奥深さに触れ、新たな視点と感動をもたらしてくれた。
デジタルの便利さに頼りきっていた方にも、ぜひフィルムカメラの魅力を体験していただきたい。
-End-